東京高等裁判所 昭和51年(う)343号 判決
被告人 友野幽
〔抄 録〕
原判決が原判示第二事実の証拠として掲げる植村信之の検察官に対する供述調書中に被告人の供述を内容とする供述記載部分があることは所論のとおりであるが、被告人以外の者の検察官に対する供述調書中に被告人の供述を内容とする供述記載部分があるときは、右供述調書が刑訴法三二一条一項二号所定の要件を備えていると認められる限り、右供述調書中の被告人の供述を内容とする供述記載部分についても同法三二四条一項の準用があり、したがって被告人の供述が同法三二二条所定の要件を備えているときは、右供述調書を被告人に対する証拠とすることができるものと解すべきである(昭和三二年一月二二日最高裁判所第三小法廷判決、刑集一一巻一号一〇三頁参照)。なぜなら、刑訴法三二一条一項二号によって供述調書に与えられる証拠能力は、公判期日における供述と同等のものと認められるのであるから、同法三二四条の適用の有無について公判期日における供述と右供述調書の供述記載とを区別する必要はないからである。所論(一)は独自の見解に立つ主張であって採用することができない。そして、証人植村信之の原審公判期日における供述は、同人が保土ケ谷警察署に留置されていた当時、同房者であった被告人から聞いた内容について、ほとんど記憶がないというもので、検察官に対する供述調書と実質的に異なるものであるところ、同証人は原審公判期日において、当時のことを極力忘れようとしてきたため記憶がなくなったなどと供述し、被告人に対する遠慮ないし気兼ねから具体的供述をことさら回避しようとする態度が窺われる反面、検察官の取調べの際は記憶どおりに供述したことを認めていることに徴し、同人の検察官に対する供述調書の供述記載を公判期日における供述よりも信用すべき特別の情況の存することが明らかである。所論は、同人の検察官に対する供述が覚せい剤の影響により正常な判断能力を欠いた状態のもとでされた旨主張するが、同人が検察官の取調べを受けたのは昭和四九年二月二〇日であり、同人が逮捕されてから一か月近くも経過した後の供述であることにかんがみ所論は採用できない。また所論のように同人が取調官に迎合して供述したものと認めるべき証拠はない。そして、右供述調書中の被告人の供述は不利益事実の承認を内容とするもので、被告人にとって全く利害関係のない植村に対し雑談的に話しかけられたものであることなどに徴し、任意性及び特信性のあるものであることが明らかである。
以上によれば、植村信之の検察官に対する右供述調書は刑訴法三二一条一項二号、三二四条、三二二条により証拠能力があると認められ、原判決がその証拠能力を認めたことに所論のような違法はない。
(環 斉藤 小泉)